西教寺は明智光秀の菩提寺と言われています。
光秀の遺体自体は発見されておらず、どこに埋葬されているのかも謎なのですが、比叡山焼き討ちの後、光秀が西教寺を復興するなど寺を守ってきました。
また、光秀の妻・煕子を西教寺に埋葬し、葬儀を上げるなど光秀とは深い関係があります。
その西教寺ですが、歴史はかなり古く聖徳太子が創建したと言われています
このページでは西教寺の開祖や歴史についてご紹介します。
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西教寺の開祖
西教寺を創建したのは聖徳太子だという説がありますが、真偽のほどはわかりません。
全国には聖徳太子が創建した寺院やゆかりの土地がたくさんあり、西教寺もそのひとつなのかも知れません。
はっきりした歴史として残っているのは、比叡山の僧である真盛が荒廃した寺を再興したという話です。
それ以前にも比叡山の元三大師が草庵を建て、恵心僧都が伽藍を建てたという説がありますが、はっきりした書物などが残っているわけではありません。
真盛上人とは
真盛は三重県出身で地元の寺で出家をし、その後比叡山に入ります。約20年間比叡山で修行をしたとのこと。比叡山の僧の中でも頭角を現し、「権大僧都(ごんのだいそうず)」という高い地位に就きました。
しかし、母の死をきっかけに地位や名誉を捨てて、人々を救うことに生きがいを見出します。
その後、山を下り、西教寺の復興や地元での布教に尽力しました。正式な名称は「円戒国師(えんかいこくし)慈摂(じしょう)大師真盛(しんせい)上人と言います。
天台宗の一派である天台真盛宗を興し、現在では全国に400以上もの末寺があります。特に真盛上人ゆかりの寺院を巡る「真盛上人二十五霊場めぐり」もあります。
西教寺にある開祖・真盛の像
西教寺の「宗祖大師殿」には真盛上人の木像が祀られています。
この石段を上がっていくと宗祖大師殿があります。
こちらが宗祖大師殿です。
また、境内には幼少のころの真盛の像や真盛上人廟などがあります。真盛上人は幼名を「宝珠丸」と言いました。こちらの像を見ると聡明な様子がうかがえますね。
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西教寺の不断念仏
西教寺は「不断念仏」の道場と呼ばれています。不断念仏とは特に数珠を手にしていなくても常に心の中で念仏を唱えるということです。
天台真盛宗は「戒称二門」と言い、「戒律」と「称名念仏」の両方を重んじます。
浄土宗や浄土真宗は念仏を唱えることで救われると説きますが、天台真盛宗では戒律も阿弥陀仏の名を唱えることもどちらも大事だと教えるのです。
今も西教寺では常に僧侶がお経を唱えていて、本堂ではその声が聞こえます。
境内には明智一族の供養塔や美しい庭園などもあるので、ゆっくり参拝してみてはいかがでしょうか。
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