滋賀県大津市坂本にある西教寺は天台真盛宗の総本山であり、明智光秀の菩提寺と言われています。比叡山のふもと、日吉大社の近くですが、場所は日吉大社からやや離れているため、観光名所としての注目度はあまり高くありません。
しかし、静かな中に不断念仏の声が聞こえるステキな寺院です。また、秋には紅葉が美しいので、ぜひ行ってみてください。
このページでは西教寺の見どころについてご紹介します。
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西教寺の6大見どころ
西教寺の見どころには次の6つがあります。
- 本堂の阿弥陀如来と白手の猿の像
- 小堀遠州作の庭園
- 明智一族の供養塔
- 明智光秀ゆかりの資料
- 穴太積みの石垣
- 麒麟の像
本堂の阿弥陀如来と白手の猿の像
西教寺の本尊は阿弥陀如来です。本堂には大きな阿弥陀如来像があり、その前に座ると見上げるほどの大きさがあります。

また、本堂の中には手が白い猿の像があります。
ある時、坂本地方で一揆が起こりました。その首謀者は真盛上人ではないか?と疑った比叡山の僧兵が西教寺に押しかけてきました。寺からは念仏を唱える声が聞こえたため兵たちが本堂に討ち入ると、そこには手が白い猿が鉦を鳴らして念仏を唱えていたと言います。
この手白猿は今も本堂の片隅にちょこんと座っています。身代わりになって守ってくれることから西教寺の猿は「護猿(ござる)」と呼ばれています。
寺の屋根には、あちこちに猿がいますよ
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小堀遠州作の庭園
西教寺の見どころのひとつに庭園があります。客殿の庭園は小堀遠州作で、後ろの山を借景にして池は琵琶湖の形を模したものだとか。

他にも小さいながらも手入れされた庭がいくつかあります。
このように狭い場所でも庭があり、きれいに手入れされています。
季節によって青葉や紅葉、雪などの景色が楽しめます。

明智一族の供養塔
西教寺は比叡山焼き討ちで焼かれてしまいましたが、それをいち早く再興したのが明智光秀です。
それまでにも戦さに倒れた家臣や足軽の霊を供養するために西教寺に供養米を寄進したり、妻・煕子の墓を建てて葬儀を行ったりしていました。
本能寺の変の後は坂本城が落城した後、家臣が西教寺まで来て、光秀の妻・煕子の墓の前で自害したと言われています。
今でも境内には明智一族の供養塔があり、多くの人が参拝に来ています。
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明智光秀ゆかりの資料
明智光秀ゆかりの寺院だけあって光秀に関する資料が展示されています。
各地の光秀にまつわる城や光秀の像、また西教寺に関する資料などが展示されています。
こちらは光秀の像でしょうか。
解説などが少ないために何がどんな資料なのかわかりづらいのがちょっと残念でした。
明智光秀資料室
また、今回NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」決定によって新たに明智光秀資料室が作られました。
光秀に関する書や年表、画像などが展示されていますが、すべて写真撮影は禁止でしたので入口の写真のみをご紹介します。

どんな内容かはぜひ参拝した際にご覧ください。
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穴太積みの石垣
坂本は築城の際の石積みを作る職人集団「穴太(あのう)衆」がいたところです。穴太衆の石積みを取り入れてできたのが安土城だと言われています。
それまでの城作りは野積みという石の積み方をしていましたが、信長が穴太衆を起用したことで美しい石積みの城ができました。その後、穴太衆は全国各地に呼ばれて城作りを手掛けたといいます。
すばらしい技術を持つ穴太衆が住んでいた坂本地区のあちこちでは美しい石積みが見られます。西教寺も寺院ですが、まるで城のような石積みがあり驚きます。

麒麟の像
西教寺の開祖・真盛上人の像をお祀りしている宗祖大師堂の唐門には麒麟が彫られています。
まるでNHKの大河ドラマと関連づけるように思えますが、特に関係はないそうです。また、なぜここに麒麟が彫られているのかも不明だそうですが、麒麟は「良きこと」を表し、よい政治を行って国を治めたときに現れると言い伝えられています。
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他にもまだまだ見どころはたくさんあります。
近くには日吉大社や坂本の町並み、比叡山などがあるので、一緒に楽しんでみてください。
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